2017年10月12日木曜日

若いころのサッカー観戦を思ひ出して

 今日の入野は秋祭り。朝から花火が上がり、焦げたしょうゆのにおいが漂い、太鼓の音が聞こえてくる。事務所で仕事をしながらそれらを楽しんでいると、ふと、若かりし頃、本間剛と二人でジュビロスタジアムに通っていたことが思ひ出された。まだ私がヤマハ発動機の第5工場でオートバイのエンジンの組立ライン工をしていた頃の話だ。
 さて、当時のジュビロスタジアム、ゲームの行方以外にも様々な人間ドラマを見ることができて、単なるサッカー観戦以上に面白かった。
まず、客席。選手に対し、「煮干しを食え」だの「肉を食え」だの、出征した息子を心配する母親のように叫ぶ声あり。ピッチを背にして焼きそばを食べまくるサッカー少年団の姿あり。ガラガラにもかかわらず、几帳面に指定された席に背筋を伸ばし腰かけて観戦する老夫婦あり。ゴール裏で情熱的に応援するサポーターたちetc・・・。ある一つのゲームに対し、スタジアムで観戦するという点で共通の立場にありながら、それぞれ思い思いの態度でその場に立ち会っている。明治の頃、人が個性的になる一方で同時に個性を失っていると評した漱石がここにいたら、安堵しただろうか。
 また、ピッチと観客との関係も微笑ましかった。当時のジュビロにはブラジル代表のキャプテンを務めるドゥンガがいた。彼はまさに鬼教師だった。特に、サッカーを知らないうぶな味方に対し、試合中にもかかわらず、尋常じゃない形相・語気・身振り手振りで指導していた。多くの選手が怒るドゥンガと目を合わせないようにする中、二十歳そこそこのCB秀人は、立場をわきまえず食い下がることがしばしばだった。二人のけんかが始まると、観客は、「ほどほどにね!」という雰囲気でそれを見守る。ドゥンガに怒られて、試合中にもかかわらずCB誠やMF福西が泣いてしまうと、観客は「泣いてる場合じゃないだろ。しょーがねぇなぁ。」という雰囲気ながらも致し方なく若い二人を励ます。
そして、ゴンちゃん。観客は、彼のゴールは奇跡、そう思って常に固唾をのんでいる。PKはもちろん、俊哉や名波、MF奥がすべての相手選手を翻弄し、キーパーすらいない状態を作り出してからラストパスを彼に送ったとしても、観客はなお彼がゴールできると信じていない。その証左に、彼がはずせば「やっぱりね」と安堵の声があがり、逆に決めれば「おぉ・・・」とどよめきが起きた。
 一般に、20年も経つと、試合の結果だけがクローズアップされる。しかし、その場に立ち会った者には、無機質で無慈悲な結果よりも、そこで目にした人間ドラマの方が自然と心に残っているものである。ゲームは勝つことを目指して戦うものだが、それだけでは出汁をとり忘れた味噌汁のようなものなのかもしれない。
そんなことを書き進めていたら、ふと野球場のことが思い出されたので、それを紹介して筆をしまうことにしよう。
日本で一番いい球場はどこか、野球好きには興味深いテーマである。それを考察した論文の中で、一番いい球場に選ばれたのは、東京ドームや甲子園などの名だたる球場ではなく、地方球場に過ぎない富山アルペンスタジアムだった。野球のゲームと全く関係ないが、晴れわたった日にあの球場から臨む立山連峰は、それは息をのむ美しさ、そういわれる。案外、その場に生で立ち会った者にとっては、ゲームの結果や充実した設備といったものより、そうしたものの方が印象に残るのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿