2018年12月6日木曜日

感情のコントロール

皆さんこんにちは。寒暖の差の激しいこの季節、体調崩していませんか。つい先日年賀状を受け取ったばかりのような気がしますが、もう2019年の準備を始める時期になりましたね。あっという間に時が流れていくことに焦りを感じながらも、充実しているからだと自分に言い聞かせる毎日です。


さて、皆さんは感情のコントロールがうまくいかない時、どうやってその状況を潜り抜けますか?誰かに八つ当たりしますか?大声で叫びますか?歌いますか?お酒飲みますか?


実は昨日、感情のコントロールが効かなくなる事態に遭遇しました。何があったかのかは秘密ですが、怒りとは違って、いろんな考えや感情がどっと押し寄せてきて、納得がいかなくて、どうにもこうにも気持ちが静まらなくて、そんな自分を抱えきれなくて混乱している状況でした。


こんなとき私はまず無言になります。黙ってじっと自分と見つめ合うのです。そして、何に納得がいかないのか自分で整理できると、やっとそこから喜怒哀楽という感情が生まれてくるので、そこから発散方法を見出していきます。


以前はこの「自分と見つめ合って自分の感情を整理する」ということが苦手で、負のループからなかなか抜け出せずに、メンタルが底なしに落ち込んでいく自分でした。しかしながら、ある方と出会ってから、そんな自分に変化が生まれました。その方は私の心を鏡のように照らしてくださいます。混乱して自分を保てなくなってしまってときこそ、自分が今何に悩んでいて、自分の課題が何なのか見つめることの大切さを学んだのです。重大な事態に遭遇した時は今も頼ってしまいますが、日常の感情は自分で整理できるようになってきました。昔より少し成長できたってことかな。


とりあえず憂さを晴らしをするっていう手もあるとは思いますが、その感情から一歩前進するために、自分と見つめ合うことをお勧めいたします。


私も昨日のモヤモヤから復活し、一歩前進した自分と今日を溌剌とスタートさせるぞぉ。
見城美妃

2018年11月27日火曜日

ほっとすること

1億年後、人類はまだ存在しているのでしょうか?いないような気がする。

1000年後は・・今から1000年前のことを考えると、1000年後もまだいる気がしますね。

でも、進歩のスピードがとてつもないことになっているので、わかりませんね。もしかしたらあと50年ぐらいで人類は終末を迎えてるかもしれませんね。


あとどのくらいかはともかく、いずれは人類も、地球も、太陽系も、銀河系も、宇宙そのもの(はちょっとわかりませんけど)も、あらかた消えて無くなると思うと、なんだかほっとしますね。

我々の生きている世界は、いずれ消滅する運命にある。だから、自分の世界がちょっとぐらい好転しようが暗転しようが、何の意味もない。大丈夫、大丈夫。


そう思いながら、暮らしています。
(青野)
 
 

2018年11月20日火曜日

古事記から 「愛」イザナギ・イザナミ

地元の焼津神社(静岡県焼津市)で祀られている倭建命(焼津神社では「日本武尊」と称しています。)に深い興味を抱き育った私にとって、倭建命の物語が記されている古事記は身近な、そして貴重な資料でした。
その古事記は、天武天皇の命で舎人の稗田阿礼(ひだのあれい)が作成を始め、その後、太安万侶(おおのやすまろ)が完成させたとされています。
全3巻から成り、第1巻は「建国の経緯」、第2巻は「神武天皇から応神天皇までの歴史、そして、第3巻は「仁徳天皇から推古天皇までの歴史が綴られています。
同時期に編纂された歴史書「日本書紀」とは違い、古事記は物語として書かれているところが興味深く、楽しめる内容となっています。
さて、「愛」をテーマに古事記の中で国を造った神「伊邪那岐(イザナキ)」と「伊邪那美(イザナミ)」の話しをしたいと思います。
この二神は、この世で初めて人のかたちをして登場する仲睦まじい夫婦神です。
火の神を生んで大きな火傷を負い、命を落とした妻伊邪那美は黄泉の国へ下りました。諦めきれない夫伊邪那岐は、黄泉の国へ行き、帳を挟んで、伊邪那美に蘇って共に国造りをしようと懇願します。伊邪那美は、一旦断るものの、食い下がる夫に、黄泉の神に話をしてくるから暫く待つように言います。その際、伊邪那岐にけして帳の内側を見てはならないと約束させました。しかし、我慢できない伊邪那岐は、覗いてしまいます。そこにはゾンビの姿に変貌した伊邪那美がいました。伊邪那岐は驚愕のため一目散にその場を逃げ出します。伊邪那美は、約束を破った伊邪那岐に激怒し、雷獣や鬼女を従え伊邪那岐を追いかけます。あの世とこの世の境まで逃げ延びた伊邪那岐は、その境に岩を置き結界を張り、今後行き来できないようにしました。これに対し伊邪那美は「これからは1日に千人の人を黄泉の世界に引きずり込む」と言い、伊邪那岐は「ならば、一日に千五百の産屋を作る」と応えたそうです。実に生々しく悲惨な場面でした。
そのような場面であるにもかかわらず、本日「愛」をテーマにすると申し上げたのは、この二人の発していた言葉に起因します。夫は恐怖と驚愕、妻は激怒しているのにも拘わらず、相手を互いに「愛する人よ」「愛しい人よ」と呼び合っていたのです。このような事態に陥ってはいるが、かつては愛し合った仲であり、あなたは私の愛する人だと呼び掛けているのです。古事記が編纂された一千三百有余年前には、夫婦間において純粋な愛情表現がされていたのでしょう。見習いたいものです。
(早川清人

2018年11月12日月曜日

相続・何でも無料相談会

  ここ数年、静岡県司法書士会と東海税理士会静岡県支部連合会がコラボして「相続・何でも無料相談会」を行っています。

本年も、1123日(勤労感謝の日)に県内3か所で、法律の専門家である司法書士と税金の専門家である税理士がコンビを組んで相談にあたります。3連休の初日ですので、行楽に出かける方も多く、心配なのですが、多くの市民の皆様に利用いただけたら嬉しく思います。
 
私も相談員として静岡会場で相談にあたる予定です。予約制になっていますので予め電話いただくと幸いです。
宮内豊文
 

2018年11月5日月曜日

アメリカの中間選挙の報道を見て

 みなさん、こんにちは。この原稿を書いているのは11月2日。肉付きの良い私でも肌寒く感じるようになってきました。みなさんも体調にはくれぐれもご注意ください。
 さて、普段政治に関心のない私ですが、テレビで盛んに報道されるので、11月6日(現地時間?日本時間?)に予定されているアメリカの中間選挙について、私なりに感じたことを書いてみます。
 日本のマスコミの報道をぼんやり眺め、聞いていると、トランプさんの共和党が負けそう、あるいは少なくとも日本のマスコミや評論家は彼らが負けることを願っている、そんな印象を受けます。しかし、私は、何となくトランプさんが勝つんじゃないかなぁ・・・。」と思っています。別にトランプさんが好きというわけではありません。むしろ、乱暴なことをいうし、自分勝手でわがままな感じがするし、独裁者みたいな危険な香りもするので、私は彼が政治の世界から去ることを願っています。それでもトランプさんが勝つと思うのはなぜか。それは、小泉純一郎さんの姿が重なるからです。
 小泉さんは、郵政民営化の際、それに反対する者を抵抗勢力と命名し、さらには自民党をぶっ潰すと言ったように記憶しています。これだけ聞くと、民主主義による政治が衆愚政治に陥らないための先人の知恵、すなわち議論を尽くすとか少数意見に耳を傾けるとかいったものを無視しているように感じてしまいます。しかし、当時の私、特に郵政民営化選挙の時の私は、そのような危険を察知することなく、小泉さんを支持していました。議論を重ねるだけで改革することのできない政治、小泉さんはそのような状況を打破してくれる、そんな風に思い込まされてしまったのでしょう。そして、理由は人それぞれだったでしょうが、多くの国民が彼を、小泉さんを支持したのです
 今のアメリカも、トランプさんを大統領に選ぶぐらいですから、当時の日本と同じような状況かな、と思います。対岸から見ていると「危ないなぁ」と思うことができても、渦中にいる者は危険に気づかないのかもしれません。
とにかく、私は、日本のマスコミの報道とは異なり、トランプさんあるいは共和党が勝つような気がします。そして、トランプさんが勝ったときには、嵐が過ぎるのを待つのではなく、対話を拒絶する相手方をどうやったら対話の場に誘うことができるか、ハードな彼を相手にそれを実現しなければならないのだろうと思っています。
小楠

2018年10月31日水曜日

うえきばちです


7時50分


役に立たなかった目覚まし時計が目に入り、僕は飛び起きた。

今日は水曜日。朝8時から始まる絵本の読み聞かせの日だ。

昨日の疲れが取れずに二度寝してしまった自分を悔やんでも遅い。

猛ダッシュで支度を始める。
7時53分 コンタクト装着、整髪、着替え完了
7時54分 本をバッグに入れる(今日の担当は1年2組だ)
7時55分 自宅を出て小学校へ
7時58分 小学校に到着
8時00分 1年2組に滑り込んだ

起きてから10分後に読み聞かせを始めたのは始めてだ。

絵本の読み聞かせは読み手の状態がしっかり出てしまう。

二日酔いの朝の読み聞かせは絶対にうまくいかない。
(そんな日はめったにありませんが)

まあスベる。欲しいときに笑いが起きない・・

でも今日は違った。

焦りすぎて逆に吹っ切れたのか、抑揚をしっかりつけて、児童の顔色をうかがいながら楽しくできた。 児童は大爆笑! 

相手が高学年でなかったことが幸運だったのかもしれないが、結果オーライ!!


こういうことは仕事でもあることだ。

でも、こんな感じでは、いつかとんでもない失敗をしてしまう。

何事も十分な準備が必要!

ふらっとは今、取り扱うことのできる範囲を広げるための準備を進めている。

期限に追い抜かれないよう、着々と進めようと思った本日


今朝読んだ3冊のうちの1冊「うえきばちです」

鉄板の絵本。マイベスト。

弾ける笑顔がいっぱいで、幸せを感じた朝

増田真也




2018年10月25日木曜日

「学習する組織」とコミュニケーション

ある社長さんから、自分がいなくても会社が永続するようにするにはどうしたらいいかな~?と言われたことがあります。

その言葉がずっと心に残っていたのですが、ある書籍を読んだときに、「永続するための組織を作ればいいのか~」とその答えを得たような感じになりました。
その書籍が、「学習する組織」(英治出版)です。

複雑で変化の激しい時代に対応するには、環境変化に適応し、自ら進化し続ける組織、すなわち、「学習する組織」を築く必要がある。そのためには、5つの重要な要素があるという内容です。詳しくは、書籍をお読みいただきたいのですが、このブログで紹介する理由が、その5つの要素の中に登場します。

「チーム学習」という要素の中に、「ダイアログ」と「ディスカッション」という言葉が登場するのです。

今まで、私は、「ダイアログ」と「ディスカッション」を明確に分けて考えていませんでした。でも、この書籍の中では、「ダイアログ」では、お互いの話にじっくり耳を傾けることが重要となり、「ディスカッション」では、様々な考えの発言が重要となると書いてあり、その役割の違いが意識されているのです。

つまり「ダイアログ」が実践されているチームでは、相手への理解が深まり、「ディスカッション」における様々な違う立場からの発言も、深い信頼関係の中で共有されることになるということです。私は、思わず大きく頷いてしまいました。

そして、我々が日々学んでいるコミュニケーションが、組織の永続にとっても重要な役割を果たしていることをあらためて感じ、嬉しくなった瞬間でもありました。  
                                   名波直紀

2018年10月6日土曜日

相談会のご案内

今日は相談会のご案内。

県司法書士会では、10/14(日)に駿河区稲川の司法書士会館で「任意後見」をテーマにセミナーと相談会を開催いたします。

いずれも、無料でご利用いただけます。

この機会に、将来の安心安全な財産管理を、ご家族皆さんで考えてみてはいかがでしょう?

多数のご参加をお待ち申し上げます。  (中里)


2018年10月4日木曜日

時代との対話~AIと司法書士の未来を探究する~

9月23日、24日 全青司群馬全国研修会に参加してきました。
第4分科会 時代との対話~AIと司法書士の未来を探究する~
にてパネリストして登壇してきました。
全青司ADR委員会が受けもつ分科会です。
 
分科会の前半ではAIやテクノロジーの今の現状の報告
実例報告
後半はオープンダイアローグという手法を使ったグループディスカッション
 
 
私は実例報告を少しさせていただきました。
 
ADRを勉強して、一番役立っているのは、思考の整理ではないか
とこの頃思うようになりました。
混とんとした状況を、把握し、整理し、他者にわかる様に
説明する(プレゼンする)
メディエーションの現場で行っていることが
日々の業務や生活に役立っています。
 
 
副センター長 芝 知美

2018年9月23日日曜日

電話の相手

仕事柄「本人の代理人」として手続きに必要な電話をすることがあります。最初にお決まりの「ご希望の番号をプッシュして下さい。」という自動音声案内の壁をクリアする必要があります。自動音声とのやりとりを2~4回続けたあと「オペレーターにおつなぎします」でやっと人と話せるようになります。
続くオペレーターとのやりとりでは「本人でない方からのお電話にはお答えできません」という壁に当たります。ここでこちらの立場を説明して、「少々お待ちください」で大分待たされたあと、「担当部署におつなぎします」で前進するかと思いきや「先に書類を送って下さい」でその日は終わってしまったりします。
そんな中でも稀に最初のオペレーターとのやりとりで話が心地よくスムーズに進められることもあり、感服することがあります。おそらく電話対応の研修や訓練を相当受けられているとは思いますが、そんな方と会話をしたあとは、自分の日頃の電話対応を省みて至らなさを反省させられます。
 
いぐち

2018年9月21日金曜日

コミュニケーションで大切なこと


運営委員の佐藤です。
朝と夕方、段々と涼しくなってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

一時期、コミュニケーションがなかなかうまく取れずにいたことがあり、ある先輩に自分の意見がなかなか伝わらない、どうやったら相手に伝わるように伝えられるようになるのかを相談したことがありました。

その時、先輩から言われた一言。「当たり前でしょ。佐藤君は自分のステージ(立場)に立って相手にただただ伝えてるだけなんだから。今そこに相手がいないんだよ。相手は佐藤君と同じステージ(立場)にいるのか考えたことある?」と。ハッとしました。自分は自分のステージにだけ立って、自分の考え方で何とか伝えよう、分かって貰おうとしていただけなんだなと。相手が何でそう考えるのか、今どんな環境にいるのか、相手と自分のステージが同じ場所なのか、そんなことも考えずにいたことに気付かされました。

さらに強烈な一言。「そしてもう1つ。自分の意見を伝えて何とか分かって貰おうとしてない? 自分の意見を伝えようとするために、どうやったら伝わるのかを考えることは良いことだと思う。でもね、もう少しそれを進めて考えてみて。自分の意見を伝えよう、分かって貰おうとしているということは、ともすれば自分の意見を押し通すということなんだよ。それは相手の意見を聞いていないってことでもあるんだよね。相手のこと、ちゃんと見てる? 相手の意見をちゃんと聞こうとしてる?」と。
完全にノックアウトされました・・・。

でもこうやって言ってくれる人、本当に大切な存在ですよね。本当にありがたいなと改めて思うとともにいい勉強をさせて貰いました。
これから人に伝える時は、相手と自分のステージが同じ場所なのか、そして意見を「聞けて」いるのかを大切にしていきたいと思います。

佐藤圭

2018年9月15日土曜日

オートメーション

 ここ数日間で急に涼しくなり、今年の猛暑を思い返せば、「いい季節になったな。」としみじみ感じる今日この頃ですが、最近、「いい季節になったな。」に次いでよく思うのが、「人力なんだな。」です。

 たとえば、ネットで商品を注文すれば、数日後には手元に届きますが、それは全て自動で処理されているわけではなく、受付、梱包、発送、配達など、人力に支えられています。
 もし、深夜にスマホのアプリの不具合修正の通知が届いたら、それは深夜まで仕事をしている人がいるということでしょう。

 イベントの企画ひとつとっても、内容をどうするか話し合ってアイデアを出し、広報の方法や、チラシ等のデザインも色や文字のフォントなど一から決めていって、問題がないか何度もチェックして、不備があれば一個一個修正して、という、外からは見えない、泥臭い地道な努力によって、一つのイベントが出来上がっています。

 子供のうちは、そういうことは、何かよく分からない魔法のような未知の技術的な何かで自動的に何とかなるように感じていましたが、最近、色々なところで、「あ、これも人力なんだな。」と思うにつけ、世の中は人力で動いてるんだな、と感慨深く感じます。

 AIやIoTなど、様々な技術が発達しているとはいえ、今現在、まだ私たちの普段の生活は、顔の見えない誰かの尽力によって成り立っています。

 今後、もしAIなどの本当に、何かよく分からない魔法のような未知の技術的な何かで自動的に何とかなるようになってしまったら、私たちの生活は一体どうなるのでしょうか。
 「いい時代になったな。」としみじみ感じるだけならすばらしいことですが。

小林

2018年9月7日金曜日

市役所からのご相談が増えています

ふらっとへご相談をいただく場合、大抵、どちらかの紹介でお電話をいただきます。
その紹介先で最近増えているなと感じるのは、市役所からのものです。
市役所の相談窓口は、日々いろいろな相談が寄せられていると思いますが、市職員では対応が難しいものも数多くあることは十分理解できます。また、いがいみあっている人同士の話し合いの仲立ちをすることも大変でしょう。そんなとき、ふらっとを思い出し、ご紹介くださっているのだと思います。

とてもありがたいことだと思います。ありがとうございます。

ふらっとでは、相手の方と同席で話し合いをすることを調停人がサポートします。評価や判断はしませんが、当事者は自分たちで解決策を探っていくため、その結果に納得します。悩まれている方がいるようであれば、お気軽にふらっとをご紹介ください。

事務長 佐藤麻妃

2018年8月29日水曜日

家事事件の勉強会に参加しました。


先日、と言ってももう1,2カ月前になりますが、”ふらっと”の家事事件の勉強会に参加してきました。(”ふらっと”では、現在、140万円を超える紛争事件及び家事事件について扱えるように、法務省の認証を取得する準備をしています。)
講師は、裁判所で調停委員もされている当会の会員です。
裁判所における家事調停の運用や実務的な話を中心にご講義いただきました。
その中で、裁判所における家事調停、特に離婚調停においては、裁判所の調査官による役割がすごく大きいと感じました。
“ふらっと”では、調査官のような役割を担う担当者を置くことは現実的には不可能だと思います。
それを考えると、”ふらっと”で安易に離婚調停を扱えるようにすることに戸惑いを感じてしまいました。
職域の問題だけでなく、弁護士会が司法書士会の調停センターで家事事件を扱えるようにすることについて、積極的な賛成をしないのも最もだなぁと思います。

ところで、講師の先生の体験では、女性が離婚を考えるとき、離婚調停を申し立てる2,3年前から離婚を考え始め、数年間、夫の様子を観察し、やはり離婚しかないと思って調停を申し立てることが多いということでした。
それに対して、夫はその数年間、妻の気持ちの変化に何ら気づかず、突然、調停申立されたり、妻が出て行ったりするので、「なんで離婚なの?今まで問題なかったのに!」という反応をすることが多いそうです。
夫の側からすると、理由もわからないまま離婚を要求され、養育費や財産分与、場合よっては慰謝料の請求をされることに納得いかないですよね。
でも、妻の側は、すでに十分な時間をかけて離婚を決意しているので、そこから復縁することは、なかなかむずかしそうです。

私は、”ふらっと”が夫婦間の問題に関して、活躍できるとすれば、ここにヒントがあるのではないかと思いました。
“ふらっと”の調停は、裁判所の調停と違い、当事者の直接の「対話」を重視しています。したがって、代理人が就いた場合でも、調停当事者本人に出席していただき、相手方と同席して、抱えている紛争について直接話し合っていただき、紛争の解決策についても当事者自ら考え合意に至る、そのプロセスを調停人が支援しています。
 しかし、例えば、夫婦間に未成年の子がいるような場合に、未成年の子の福祉を考え様々な調査・調整を行う調査官の役割を担う担当者を”ふらっと”に置くことは現実的には不可能であり、裁判所の調停と同様のことを行うことは、”ふらっと”ではできません。
 
 むしろ、”ふらっと”ができること、それは、当事者の一方(先ほどの事例では妻)が離婚を考えだしてから、実際に離婚の決意に至る前に、夫婦の関係について、お互いの考え方・価値観の違いを認識し、円満な夫婦関係を築くにはどうすればいいのかを話し合ってもらうこと、裁判所の調停でいえば、「夫婦関係調整調停(円満)」を”ふらっと”の調停で利用してもらうことが、最も”ふらっと”の特徴を活かせる調停になるのではないかと思います。
 実際に、離婚を決意していないのに夫婦間の不満に、”ふらっと”の調停を利用していただくというのは、相当ハードルが高いなとは思います。
 ですが、これができれば、離婚しなくていい夫婦を増やすことに少しでも貢献できると思います。
 ここは、我々運営委員が、如何に”ふらっと”を利用しやすいように運営できるかにかかっているのでしょうね。
運営委員 井上史人

2018年8月10日金曜日

「ADR法制の改善に関する提言」(一財)日本ADR協会(2018年4月25日)

 センター長の小澤です。

 日本ADR協会では、本年4月25日に、ADR法制の改善に関する提言をされています。
 とても重要なことばかりです。

 http://japan-adr.or.jp/

 ふらっととしましても、このような動きにきちんと対応していく必要があると考えています。

 概要のみ紹介しておきます。 

提言1:ADRと裁判手続等との関係に関する理念の明確化
ADRと裁判との関係、また、民間型ADRと民事調停等の司法型ADR及び行政型ADRの関係について、両者が紛争解決手段として対等の関係にあることを規定上明確化すべき。

提言4:大規模災害時等における規則変更等の認証の迅速化等
時限的に、規則から外れたADRを行うことを許容すること、認証を短期間(数日など)で行うこと(緊急認証)などの取扱いを検討すべき。

提言6:ADR前置事件の拡大
現状の他にADRを前置すべき事件がないかにつき検討を加え、必要な場合には、民事調停等の前置事件を拡大するとともに、当該事件につきADR法第27条による特例の対象とすることを検討すべき。

提言7:裁判所等によるADR利用の勧奨・付ADR
訴訟事件が係属する裁判所等は、適当と認めるときは、事件の性質に応じて適当と認められるADR機関において和解交渉をすることを勧めることができるとする旨の明文規定を設けるべき。さらに、必要と認めるときは、事件を認証ADRの手続に付すことができる旨の規定を設けることを検討すべき。

提言8:手続応諾義務の適用範囲の拡大
現在一部のADRで導入されている手続応諾義務に関する規律の適用範囲をさらに拡大する可能性について、検討に着手すべき。

提言9:ADRにおける和解合意に対する執行力の付与
ADRにおける和解合意に対して、当該認証ADR機関の選択により、裁判所の執行決定による執行力の付与を可能とすべき。

提言10:秘密の取扱いについての規定の整備
調停に関連する情報について,手続実施者及びADR事業者の守秘義務を規定することにより、守秘義務の対象となる事項について民事・刑事訴訟での証言拒絶や捜査機関等第三者からの照会に対する回答拒絶を可能にするための根拠規定を整備すべき。

提言2・15:ADR利用促進のための国の責務の明確化、国側の体制強化
ADRの担い手の資質の向上や裁判所等とADRとの適切な連携のために必要な措置を講ずることについての国の責務を、規定上明確化するとともに、内閣としてADR利用促進計画を閣議決定する、省庁間の連絡会議を積極的に実施するなどの措置をとるべき。

日本司法書士会連合会 司法書士会調停センター担当者会議

 センター長の小澤です。

 本年も日本司法書士会連合会、紛争解決支援対策部、ADR WT主催の司法書士会調停センター担当者会議が9月21日に開催されます。

 各調停センターの運営状況や課題等に関する情報の共有化を図るとともに、担当者間の意見交換の機会を設け、協働する司法書士会を増やすこと及び各調停センターのさらなる発展を目指すことを目的としています。

 具体的には、
①グループワークにおいて、ADRに関わる人材を増やすためにADRに関与することで得られるメリットを事前のアンケート結果を基に言語化することとし、
②その後の情報交換会においては、web調停・遺産分割調停を実施できるような変更を検討しているセンターの報告を踏まえて、大相続時代・裁判IT化時代における司法書士会調停センターの役割などについての意見交換を行い、
これまで以上に市民に身近な存在を目指すことを共有することとしたいと考えています。

 もちろん、静岡のふらっとの取り組みについても、全国の調停センターが注目していると思います。
 有意義な会議になることを期待しています。

2018年7月27日金曜日

瞳のもつ力

毎日暑い日が続いていますね。皆さん体調は如何でしょうか。夏風邪も流行っているようなので、体調管理には十分に気をつけましょうね。


さて、先日お仕事の関係で韓国の方とお会いする機会がありました。


実は私、日本語以外の言葉を耳にするのが超苦手。聞いた瞬間に「分からない(汗)」という心理的プレッシャーが強く働き、その場を逃げ出したくなってしまう性分です。学生の頃学んだ英語すらまるっきり聞き取れず、お酒を飲んでも赤くならないこの顔が、このときばかりは真っ赤になってしまうのです。


そんな私ですから韓国の方とお会いした時も、話しかけられたらどうしよう・・・みたいな心理状況で落ち着かない時間を過ごしていました。


ところが!!!


諸々の真面目な勉強会が終わり晩餐会の時間となりました。最初は緊張していましたが、二次会、三次会と時間を共有していく中でこんなことが起こりました。


すこし距離の離れた席に座る韓国の方とたまたま目と目が合いました。
相手の方がこちらを見ながら杯を手に取ったので、私も杯を手に取り返し、
相手の方が微笑をくれたので、私も微笑みを返し、そして同時にお酒をいただく。


何か言葉を交わしたわけではありませんが、ただそれだけで、お相手の方と心通じ合えたような安心感を感じました。


目は口ほどに物を言う、という諺もありますが、瞳のもつ力って本当に凄いなって思いましたし、言葉以上のコミュニケーションに魅せられた瞬間でした。


皆さんの瞳は、今日は何を語っているのでしょうか。


見城美妃



2018年7月21日土曜日

毎日毎日、ぼくらは。ほんとに。


仕事をしていてもプライベートでも、大小問わず様々なコミュニケーションエラーが起こりますよね。毎日毎日。

その中には言葉が足りなかったり、認識が共有できていなかったり、そもそも共有することあたわずだったり、育ってきた環境が違ったり、言語が違ったり・・

自分が反省することもあるし、くそっ、この人は、なんでっ・・こんなっ・・!とやるせない気持ちになることもあるし。

こうしていると、人間だな、って思いますね。


全然話は変わりますけど、ぼく、「はい?」って聞き返されるのがすごく苦手なんです。特に電話で。

相手「えぇ、そうなんですか(^_^)?」
ぼく「えぇ、そうなんですよ。ははは(^o^)
相手「へー、それはすごいですね、うふふ(^_^)
ぼく「あ、そういえばごにょごにょごにょ(←ちょっと不明瞭になる)」
相手「はいぃ(真顔)?」
ぼく「あっ、すいません、えと、その、(あたふた)」

この流れです。よほど気心が知れた人なら別として、この突如的真顔的「はいぃ?」をやられた途端、一気に「すみません!こんなわたくしめが、貴方様とお言葉を交わさせていただいているにもかかわらず、何か失礼なことを申し上げましたでしょうか!?お許しください!!」と地面にひれ伏してしまうのです。

いえ、お相手に他意はないことは存じております。でも、その刹那は本当は存在しなくていい劣等感を感じてしまうのです。

自分がそのように感じるので、逆に僕が聞き返すときは、相手に無駄な劣等感を与えてはいけない、という強い気持ちで聞き返しています。その時の言葉は一通りではありません。「ごめんなさい、もう一度いいですか?」なのか、「えっ(^_^)?なんです(^_^)?」なのか、二人の関係性、立場の違い、年齢の違い等を考慮して、その場に最適なものを探しています。言葉は長くなる傾向にありますが、その手間は惜しみません。(決して、「はい?」と一言で聞き返す方が手間を惜しんでいるのだとは思っておりません。人それぞれです。悪しからず。)

これはほんの一例ですが、この例に限らず、誰でも会話や電話で(無意識に)気を使っているシーンが無数にあるはずです。長い電話や面談をした後、どっと疲れが出るのも当然ですよね。

自分も相手も全員AIだったら楽だな、って思いますね。

(つづく)

(青野雅之)

2018年7月9日月曜日

神様と仏様

以前、私は、静岡県焼津市生まれの焼津市育ちであることから、地元の焼津神社で祀られている倭建命(焼津神社では「日本武尊」と称しています。)に深い興味を抱き育ったと記させて頂きました。
そのような中、いろいろな資料をっていたところ、古くから日本人は神様仏様融合させていたことを知りました。よくたちは、「神様仏様、助けて下さい」と祈ったり、「神も仏もないのか」と嘆き苦しんだりしますよね。また、結婚式は神前で、葬式は仏前で執り行うことが当然のことのようになっています。私たちは、人を救ってくれる存在として神様と仏様を何となくまとめて捉えて表現しているわけです。このような外来の信仰や思想を何の抵抗もなく自らの文化の一部にしてしまう感性は、他国にも見られるものの日本人は特に顕著なようです。
その日本人の感性を理論的にまとめた本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)と云う考え方を見つけました。これは、神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まった神仏習合を理論付けし、整合性を持たせた考え方と云うことで、平安時代に成立したとされています。この考え方で云うと、日本の土着の神々は、実は様々な仏尊(如来や菩薩など)の化身であるとのことです。つまり、真の姿は仏なのだが、日本人に分かり易いように仮の姿で現れたということだそうで、これを「権現」と称するのだそうです。
例えば、有名な八幡様(八幡大権現)は、阿弥陀如来の権現であり、天照大御神は大日如来、須佐乃男命は牛頭天王(ごずてんのう)であるとされています。
仏教は世界三大宗教の一つであり、伝わった先々の国で土着の信仰と融合し、独特な神の観念を醸成してグローバルな広がりを果たしてきたことは否めないのですが、日本では特に、日本人固有の感性と相俟って、独自の宗教観がより強く惹起されたようです。これは、日本人が誇れる優れた感性であり、文化であったと評されていました。
(早川清人

2018年6月20日水曜日

「経験値」と「関係性」と「距離感」


皆さん、昨夜のワールドカップ「日本VSコロンビア」は、久々に楽しくワクワク・ドキドキでしたよね。私はサッカーファンというわけではありませんが、ワールドカップは見てしまいますよね。

タイトルの「経験値」と「関係性」と「距離感」ですが、これらのキーワードを使って「日本VSコロンビア」について語ろうというわけではありません。

最近テレビを見ていて(聞いていて)気になる言葉が「経験値」と「関係性」と「距離感」です。サッカー解説者が良く使う言葉ですが、例えば「ワールドカップではゴールキーパー川島の経験が生きるでしょうね」とか「香川と乾の関係が重要になりますよね」「選手と選手との距離が大事になりますよね」とか使うのですが気になって仕方がありません。

「経験値」は経験の値ですから、あえて使うとしたら「川島は経験値が高いので、ワールドカップのような戦いでは頼りになる存在ですね」という風に使うのが正しいでしょう。

「関係性」については、いつ頃からこんな言葉を使うようになったか知りませんが、関係の性質って何?っていう感じです。ストレートに「関係」と言えば良いものをなぜか不必要な「性」をつけるのです。日常的にこの言葉を使う人は少なくない様に思います。

「距離感」については距離の感覚ですから、この場合に大事なのは感覚ではなく「距離」そのもので、感覚に惑わされるからミスを犯すのです。

先の例で言えば、「ワールドカップではゴールキーパー川島の経験が生きるでしょうね」「香川と乾の関係が重要になりますよね」「選手と選手の距離が大事になりますよね」と言えば良いのにと常々思っています。

「経験」よりも「経験値」、「関係」よりも「関係性」、「距離」よりも「距離感」と言った方が言葉の語呂が良いのかもしれませんが、もっとストレートに言葉は使うべきだと思います。「でも、お前の言葉も変だよ」と言われそうなので今回はこのあたりで終わりにしようと思います。
宮内豊文

2018年6月13日水曜日

思えば対話をしてこなかった

 私は、大学でも野球をした。高校生ならいざ知らず、大学生ともなれば、プロ野球のように相手チームや審判と対話をしながら試合を楽しんでもよさそうなものである。しかし、高校野球の経験、いや少年野球のそれがわざわいしてか、彼らと対話を楽しむことはなかった。今の私なら、もっと野球を楽しむことができただろうに。垂れた胸と突き出た腹を眺めながらつくづくそう思う。

 読者の皆さんは適格消費者団体をご存じだろうか。所管庁の言葉を借りれば「不特定かつ多数の消費者の利益を擁護するために差止請求権を行使する(中略)適格性を有すると内閣総理大臣の認定を受けた法人」のことである。
この6月、静岡にこの適格消費者団体を目指すNPO法人が設立された。消費者はもちろん、学者、弁護士、司法書士、消費生活相談員など、様々なバックグランドを有する者が会員となり、事業者による不当な勧誘、不当な契約条項、不当な広告表示などについて、その是正を求める活動を行っていくことになる。
さて、この適格消費者団体、事業者に対し、その不当勧誘等の差止請求訴訟をすることから、まるで水戸黄門のような、問答無用の存在に思えるかもしれない。もちろん、そのような結果に見えるケースもあろう。しかし、実際には、事業者との対話を重要視している、あるいは重要視せざるを得ない。強権に近い力を与えられた者の自制、ということもできようか。

 つい先日、消費者契約法の改正法が成立した。いわゆるデート商法対策など、新たな不当勧誘行為・契約取消規定が追加された。成年年齢の引下げが現実味を増す中、若年者の契約トラブルへの対策の一つとして、この改正法が威力を発揮することを願ってやまない。
 ところで、法改正がなされる際、決まってパブリックコメントが行われる。つまり、為政者が考えている立法の方向性について、大衆から意見を募るのである。上述の消費者契約法の改正についても、昨年、パブリックコメントが行われた。このパブリックコメント、その制度趣旨を考慮すれば、いかにも為政者と大衆との間の対話のように思えてならない。しかし、本当にそうであろうか。
 実は、昨年実施された消費者契約法改正に関するパブリックコメント、なぜか賛否の数が公表されていないので定かではないが、おそらく改正に反対する意見の方が大多数だったと思われる。それにもかかわらず、今国会に提出されたのは、ほぼ為政者が考えたとおりの法案だったのである。

 問答無用のように見えて実は対話を重んじかつ実践する、対話をするかのように見えて実は相手の意見を聞くつもりがない。人生経験の浅いうちは、この妙味に気づかないかもしれない。いろいろな駆け引きの経験を通じて、この妙味を味わうことができるようになるのだろう。

 そういえば、高校3年生の今頃、ノーアウト2,3塁でバッターボックスに入り、直球で追い込まれた後、静学のキャッチャーが「次、カーブ行くぜ。」とささやいたことを思い出した。今の私なら、きっとそのキャッチャーとの対話を楽しめただろうに。

 小楠

2018年6月3日日曜日

どう解く?


こんな物語があります。
・腕はいいが、あまり売れない手品師がいた。
・手品師は、大劇場のステージに立てる日が来るのを願って腕を磨いていた。
・ある日、手品師は、道端で小さな男の子と出会い、手品を披露する。そして次の日も見せてあげると約束した。
・その日の夜、手品師に、明日、大劇場に出られるチャンスが舞い込む。
・しかし、手品師は、男の子との約束を優先して、大劇場に出られるチャンスを断った。


さて、みなさん。
    大劇場のステージに立てる日を夢見て練習する手品師の気持ちを考えてみましょう。
    男の子との約束を優先した手品師の気持ちを考えてみましょう。
    手品師の行動を振り返って、自分のこれからの生活に活かせることは何でしょうか。

できましたか? それでは、こんな設問はいかがでしょう。
    手品師はどうして大舞台を断って男の子のもとへいったのでしょうか。
    手品師が大舞台を断って自分のところへ来たと知った男の子はどう思うでしょうか。
    もし、あなたが手品師の立場だったら、どういう行動をするでしょうか。
    手品師も男の子も、どちらもよい結果となる方法はなかったのでしょうか。
    「誠実」とは、どういうことでしょうか。

新学習指導要領において、小中学校における道徳の授業が「特別の教科」になることは、みなさんご存知ですか。「教科」というと、国語や算数のように数値による評価がされそうですが、道徳は数値などによる評価はなじまないと考えられることから、「特別の教科」という枠組みで実施されることになりました。

ちなみに、学習指導要領の改訂は、小学校は平成32年度から全面実施、中学校は平成33年度から全面実施されますが、道徳の教科化については、小学校は30年度から、中学校は31年度から前倒しで全面実施されます。

みなさんが受けた道徳の授業を思い出してみてください。
「リアリティがない」「予定調和」「退屈」・・こんな言葉が浮かんでくるのではないでしょうか。
これまでの道徳の授業はというと、ある物語を紹介し、主人公の行いが正しいことを前提として、例えば上記の例でいえば、①~③のような設問を通して、「誠実」という価値に収斂する授業であったようです。
それが、今般の「特別の教科」化に伴い、「考え、議論する道徳」へ質的転換がなされるということをある教育通のかたから伺いました。例えば、上記の例の④~⑧のような設問を通して、「誠実にもいろいろな形があり、相手のことだけを考えて行動することが必ずしも誠実とは限らない。」「誠実とは、自分または相手が一方的に犠牲になって叶えるものではなく、お互いにとってよい方法を考えることが「誠実」につながると考える。」「約束の中身をしっかり考え、さらに自分や相手の状況を踏まえて結論を出すことが重要ではないか。」など、物事を多面的・多角的に考えたり、自分ごととして考える授業になるというのです。

私はこの説明を受けて、マイケル・サンデルの対話型授業の風景が浮かびました。新学習指導要領が示すこんな授業が経験できたら、道徳の授業は、生きるうえで大切なことを教えてくれる、素晴らしい時間になることでしょう。

“ふらっと”の理念と共通するところが多々あると思い、道徳が「特別の教科」になることについて紹介させていただきました。

増田真也

2018年5月30日水曜日

オープンダイアローグのイベントに参加してきました!


先日、オープンダイアローグのイベントに参加してきました。
第2分会の「オープンダイアローグの世界観」に参加。

Jaakko Seikkulaらの論文をテキストに、文化人類学者、社会学者などの4名の識者から観たオープンダイアローグの世界観についてお話をお聞きしました後半は、小グループに分かれて参加者一人ひとりが自分自身の実践や、気づいたこと、理解したこと、感じていることなどを共有しました。

識者の方々のお話は、難しい言葉や内容なのですが、なぜかとても楽しくお聞きすることができました。おそらく、オープンダイアローグが潜在的にもつ可能性みたいなものを感じることができたからだと思います。

最終的には、ジャズの世界観に似ているというお話になっていくのですが、それが妙に納得できたのです。

このお話の続きは、6月15日の「Rcafeしずおか」にて
https://www.facebook.com/events/1752454511459600/

運営委員:名波直紀



2018年5月18日金曜日

法テラスカードのご案内

県司法書士会では、平成29年度度より「法テラスカード」を始めました!

 皆さん「法テラス」はご存知ですか?

 「法テラス」ではいくつかの事業を行っていますが、そのうちのひとつが「民事法律扶助」と呼ばれるもの。
 収入や資産が「法テラス」の定める資力基準の範囲内であれば、弁護士や司法書士に支払う報酬を国で立て替えてもらうことができ、立て替えられた費用は長期無利息の分割納付(月々5000円~1万円程度)が可能です。

 県司法書士会では、「民事法律扶助」をもっと活用してもらうため、「法テラスカード」を作成し、これを県内の高齢者や障害者に関する相談窓口や医療機関等に配備し、福祉や医療の関係者が日頃から接触する経済的困窮者が法律問題を抱えている場合には、この「法テラスカード」を渡して司法書士事務所への相談を促すだけでなく、可能であればその場でお近くの司法書士に電話をして相談予約も取ってもらおうという試みです(相談対応できる司法書士の名簿も同時に配布しています)。

 この事業にご賛同いただき、「法テラスカード」の配備にご協力いただける方を大募集しています。ご賛同いただける方は、県司法書士会(担当・高橋/電話054-289-3700)までお問い合わせください! お待ち申し上げています!!  【中里】

2018年5月16日水曜日

テクノロジーとオープンダイアローグ

 
静岡県青年司法書士協議会は、偶数月の第3金曜日に
Rcafeしずおかを開催しています。
 
Rcafeしずおかはコミュニケーション・メディエーションを学ぶ会で
「対話の文化を静岡から世界に発信する」
をコンセプトに平成21年から開催している会です。
現在まで延べ1000人を超える方々が参加してくれています。
”ふらっと”では、Rcafeしずおかを単位認定研修会としています。
 
司法書士はもちろん、弁護士等他士業のみなさん
獣医師、市役所職員、会社員、会社経営者、主婦、学生
等男女も世代も問わずさまざまみなさんが参加しています。
 
次回Rcafeしずおかのお知らせ
 
平成30年6月15日(金)
19時から21時
「テクノロジーとオープンダイアローグ」
 
場所 静岡県司法書士会館
 
講師 竹中透(元リクルート)
    名波直紀(司法書士・調停センター”ふらっと”)
 
参加料無料・事前申し込みが必要です。
 
AI,IOT,RPA,ディープラーニング等
第4次産業革命とも言われる世の中の流れを学ぶとともに
「オープンダイアローグ」という方法で対話の力をみなさんに
体感していただきます。
 
お問い合わせは芝までkoichaaisu@yahoo.co.jp
 
奮ってご参加下さい!


                                 副センター長 芝

2018年5月14日月曜日

気持ち


最近、知的障害の方の後見人に就任しました。彼はB型の就労支援作業所に通い、周囲の人々に支えられながら在宅で生活しています。就任後ほどなくして施設に入所されていたお父様がお亡くなりになりました。お母様は数年前に他界されています。後見人としてはこれからたくさんの仕事が控えていて、確認したいことや探したいものがあるのですが、被後見人から回答を得るのは難しそうです。自分の仕事もそうですが、そのほかにも家のことや子供のことなど、お父様は伝えたいことが山ほどあったのではないか、生前にお会いしておけばよかった、とつくづく思いました。お亡くなりになる数か月前から会話はできなくなっていたようですが、それでも後悔しています。今となっては仏壇の遺影に手を合わせ一方的に語りかけることしかできませんが、この気持ちを胸にこれから被後見人と向き合ってゆきたいと思います。
いぐち

2018年5月2日水曜日

話すことと聞くこと

 私の事務所では、朝礼の時にやっていることがあります。それは「1分間スピーチ」。お題は特に制限もなく何でもOK。朝のニュースだったり、家族のことだったり、とにかく事務所スタッフみんなで毎日1人ずつスピーチ当番を回してかれこれ3年近く続けています。

 1人が話をしている間、とにかくみんなは聞くこと。タイムキーパーの人にストップウォッチを持って貰い、話をする人のタイミングでスタート! 残り10秒になったら「あと10秒」という札を、時間になったら「時間です」と札を上げる。早く終わってしてしまうこともあるし、時間オーバーしてしまうこともありますが、とにかく最後まで話をします。笑いも入ったり、たまに1分ぴったりに終わることもあって、そんな時はちょっとみんなどよめきます。

 1分とした理由は、ある研修に参加した時に講師の方が「1つのテーマについてみんなで話をする時、人が心地よく誰かの話を聞くのは1分が限界。それ以上1人の人が話続けたら聞いている方は飽きてしまう。」と言っていたからです。お客さんと話をする時、友達と話をする時、話す機会はたくさんある中で、その「1分」という時間を意識できたら「自分が話すことだけでなく、話を聞いている人のことも考えれるようになるかな」と思って始めてみました。

 話すこと・聞くこと、どちらが欠けてもコミュニケーションは成り立たない。「1分」という時間を切り口にして、そんな両方を意識して対話が出来たらいいなと思います。私はまだまだ両方をバランス良くは出来ていないけれど、出来るようにこれからも頑張っていこうと思います!




佐藤圭

2018年4月27日金曜日

猛省

先週の金曜日、Rcafeしずおかで初めての講師をさせていただきました。
内容はキャッチコピーの作り方についての伝達研修です。
緊張のあまり詳細な記憶はありませんが、非常に拙い講師だったかと思います。
ご参加いただいた皆様、失礼いたしました。そして、ありがとうございました。

さて、一仕事終えた翌日土曜は朝5時前に車で静岡を出発し、6時間半かかけて仙台へ。
用事を済ませた後、夜9時に仙台を発ち、休憩を取りながら来た道を戻り、静岡に着いたのは翌朝8時頃。
とてもパワフルな週末でした。

が、その結果、疲れが出たのか、日曜から鼻水が止まらず、その翌日は朝から腹痛、更に喉の痛み、咳、そして発熱、頭痛、関節痛と、この一週間、ありとあらゆるかぜの症状が吹き抜けていきました。

現在は、ほぼ完調なのですが、仙台で見かけた東北大学の学生たちとは違って、もう無理がきかない年齢なのだと痛感し、少しやるせない気持ちになりました。
とはいえ、体調管理も社会人の務め、無理は禁物、猛省です。
皆様も体調にはお気を付けください。

小林

2018年4月20日金曜日

焼津みなとマラソン


最近、近くの細かな字が読めません。
これって老眼ってやつでしょうか。
ショックでご飯も食べれません・・・(うそです)
先日、毎年恒例となっている焼津みなとマラソンに参加しました。
私は、なんちゃってランナーなので5キロです^^;
制限時間が40分なのですが、今年は36秒オーバーしてしまいました。
原因はわかってます。途中苦しくて歩くからです。
ふらっとメンバーでもある宮内さんから、楽をするな!と怒られるのですが
どうしても無理。まだ一度も時間内に走り切ったことはありません。
来年こそは!!

佐藤

2018年4月16日月曜日

出雲大社


 先日、出雲大社に行ってきました。
 みなさんご存知でしょうが、出雲大社は、大国主命を祭っている神社ですね。
 大国主命といえば、国譲りの話であるとか、因幡の白兎の話などが有名ですが、私は神話の世界に興味はあるものの、恥ずかしながらほとんど神話の詳細は、知りません。
 事前にいろいろ調べてた来たらよかったなぁと思っていたら、お願いしていた観光会社のタクシーの運転手が、出雲にまつわる神話や、松江城にまつわる大名の逸話などに、すごく詳細に説明しながら、出雲から松江周辺を案内してくれて、大変楽しめました。
 出雲には、黄泉比良坂(よもつひらさか)というこの世と黄泉の国とを結ぶ境界とされる場所があるそうです。
 神話の中で、火の神を生んだ際に死んでしまったイザナミノミコトに会うため、イザナギノミコトが黄泉の国へと入っていった時の入り口がこの黄泉比良坂という場所だそうです。
 残念ながら時間の関係で今回は立ち寄ることができませんでしたが、また、出雲に行く機会があれば、次は行ってみたいと思います。


井上史人

2018年4月4日水曜日

「裁判手続等のIT化に向けた取りまとめ-「3つのe」の実現に向けて-」ADRもIT化?

 センター長の小澤です。
 平成30年3月30日、「裁判手続等のIT化検討会」による「裁判手続等のIT化に向けた取りまとめ-「3つのe」の実現に向けて-」が取りまとめられました。
 市民の司法アクセスの向上と裁判手続きの迅速化・充実化に資することを目的とし、市民にとって利用しやすい裁判の実現のための手段とする裁判手続等のIT化の方向性には基本的に賛成しています。
 そして、裁判手続等のIT化に向けた課題の一つとしてあげられた「本人訴訟について」のサポートについて、特に注目しています。
 なぜなら、司法統計によれば、平成16年から同28年までの、簡易裁判所における訴訟は、平均70.86%が双方当事者本人訴訟となっており、地方裁判所においても、平均20.20%が双方当事者本人訴訟であり、どちらか一方に代理人が選任されていない訴訟は、平均で63.42%であるからです。
 さらにいえば、平成16年から同28年までの被告の本人訴訟率は、簡易裁判所で平均92.25%、地方裁判所で平均59.45%となっています。
 したがって、これらの本人訴訟の当事者のサポートこそ、市民にとって利用しやすい裁判の実現のための裁判手続等のIT化の肝であり、これまで本人訴訟の支援をしてきた司法書士に課せられた役割は極めて重いのではないでしょうか?
 一方、民事調停のIT化もまだ先にはなるのかもしれませんが、進んでいくことと思われます。
 では、ADRは?
 より自由度の高いADRでこそ、市民の司法アクセスの向上のためにできることがたくさんあるような気がするのは、私だけでしょうか?

2018年3月20日火曜日

やぎさんゆうびん

しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた、、、

黒ヤギさんは仕方なく、白ヤギさんに手紙の内容を尋ねる手紙を出しますが、手紙を受け取った白ヤギさんもまた、黒ヤギさんの手紙を読まずに食べてしまう、、、

幼い頃の私は、童謡「やぎさんゆうびん」を聴きながら「白ヤギさんも、黒ヤギさんもなんだかかわいそうだな」と思ったものですが、大人になった私は最近、ふらっとの調停人のことを、ヤギさんにお手紙を届ける郵便屋さんのようだなと感じます。

考えてみると、私たちの日常の会話の中でも、童謡「やぎさんゆうびん」と同じ状況はしばしば起こっているように思います。
手紙を食べてしまった白ヤギさんがその後どうしたかは皆さんのご想像にお任せしますが、私たちも無自覚に「読まずに食べて」しまっていないか、気を付けたいですね。

話は変わりますが、先日山梨で、関東ブロック司法書士会協議会主催の、「最強のコピーライティングバイブル(ダイヤモンド社)」の著者・横田伊佐男さんが講師を務められた、ADRについての広報をテーマにした研修会が行われ、その伝達研修を、420日のRcafeしずおかの中ですることになりました。

ついつい商品を購入してしまう、ついついHPにアクセスしてしまう、、、
そんな心に刺さるキャッチコピーを作るための戦略や、読む人を惹きつけるキャッチコピーの「最強35の型」を、実践から学ぶという内容の研修です。

実は、35の型の1つを使って、いかにもそれっぽいキャッチコピーを作り、このブログの広報をしてみたのですが、果たしてアクセスは増えるのでしょうか。

小林

2018年3月9日金曜日

長所は短所?

このところ暖かかったり、寒かったり、花粉が飛んでいたり・・・体調管理が難しい季節ですが皆さまいかがお過ごしでしょうか。


実は、私、春という季節が大嫌いなんです。
なぜかというと、妙なやる気を掻き立てられてしまうから。


入学、入社、新たなスタートを切る季節で、世の中全体が異様なやる気に満ち溢れていて、それに惑わされ変に目標を立てちゃったり、忙しいのに新しいことを始めてしまったり・・・そして初夏を迎える頃にはグッタリしてしまうのです。自分で自分をコントロールすればいいのに、それができないから悩ましい。変なやる気を起こす前に、早く春が過ぎてくれないかなぁと思う今日この頃です。


さてさて、そんな春の入学、入社からの連想。
入学試験や就職活動をしていたとき、面接で「長所と短所」を度々聞かれたことを思い返していました。皆さんの長所と短所は何でしょうか。


私の長所は、相手の立場に立って物事を考えられることです。
私の短所は、他者に寄り添いすぎて自分を見失ってしまうことです。


私の長所は、努力できることです。
私の短所は、頑張りすぎて気づくと限界超えして失速することです。


若かりし頃、こんな風に回答していました。


今の自分の長所と短所を見つめようと考えていると、あることに気づきました。
「自分の長所は短所で、自分の短所が長所になってる・・・。」
正反対のものも実は表裏一体で、見る方向、目先の課題、その時の心情等で長所になったり、短所になったりするのだと思ったわけです。


これは私だけでなく皆さんも同じでしょうか。

2018年3月2日金曜日

ピロ! ~謎のしきたり~


ぼくは高校1年生の夏ぐらいから、携帯電話を持ち始めました。

それまで堅物さ・野暮ったさを売りにしていたぼくが、チャラさの代名詞であったケータイを持つ、ということは少し気恥ずかしく、持ったよー!と宣言することもなく、あれ、あいついつの間にか持ってんな感を演出したものです。

当時のケータイは、切手ぐらいの大きさの液晶画面を搭載し、モノクロ(というか緑の背景に黒いドット文字)の画面で、他社のケータイにはメールも送れませんでした。当時は大きく4社がシェアを分け合っていたように思いますので、単純計算で友達4人のうち3人はメールではなくて電話でしかコミュニケーションが取れなかったことになります。


そして、いま唐突に思い出してしまったのですが、当時、「ワンコール」という謎のしきたりがあり、電話番号を交換した友達や先輩から謎の着信が頻繁に入っていました。

これは、「おっす」とか「元気?」とか「あー暇」とか「なに今日めちゃ暑い!」とかの気持ちをピロ!という一瞬の着信に託して伝える、という高度なコミュニケーション手段でした。(電話がかかってきた側は、取ってはいけません。取ったらルール違反です。)

ピロ!が聞こえたら、早すぎず遅すぎず、「ども」・「まあまあっす、そっちは?」・「あれ、今日部活休み?」・「やばいよね、溶けそう」といった返事をやはりピリ!の一瞬に託して返します。

少し慣れてくると、あんまり早いと暇そうに思われるな、とかいう見栄がはたらいて、かわいい女の子からのピロ!にはあえて2時間ぐらいしてから返したりしていました。

夜中寝てる間にきたピロ!を翌朝返したりすると、相手も忘れていてまた返ってくる、というドタバタ劇もありました。

中には、おれはそんなわけのわからんしきたりにはのっからない、と宣言する豪傑もいて、誤って彼にピリ!してしまうと、実際にまったく返ってこず、次に会う時に一方的にちょっと気まずくなったりもしました。

そして、ぼく自身はそういうことはなかったと記憶していますが、人によっては、ピロ!を無視したとかしなかったとかがきっかけで関係が悪化することすらあったと思います。

いま思い返すと本当に謎のしきたりだったのですが、いつしか朝起きた時に何件の着信が入っているか楽しみにするようになり、逆に少しケータイを放っておいて1件の着信もないと、世の無常を感じる人間になっていました。


この制度はメールの他社ケータイ相互送受信ができるようになった頃から急速に衰え、実質1~2年の間だけのしきたりでしたが、ぼくの地域の同年代の人間は全員が経験していたはずです。

いまの中高生には、いまの中高生なりのコミュニケーション方法やしきたりがあり、クラスのグループLINEや裏グループLINEを駆使し、中には生放送する人もいて、ぼくらの頃とは様変わりしているけど、独自のコミュニケーション文化が生まれる、という点では、歴史は繰り返す、ということですかね。ハハ。


(青野雅之)

 

2018年2月22日木曜日

昔 話


私は、静岡県焼津市生まれの焼津市育ちであることから、地元の焼津神社に初詣などで参拝に出掛ける機会が多くあります。焼津神社は、倭建命(焼津神社では「日本武尊」と称しています。)を祀った神社であり、このことから私は倭建命に深い興味を抱きつつ育ちました。
そこで、倭建命(ヤマトタケルノミコト)とその后弟橘比売命(オトタチバナヒメノミコト)の物語の一節をご紹介したいと思います。
倭建命は、第12代景行天皇の第2皇子であり、当時天皇となるに最も近い立場にあったにも拘わらず、父景行天皇に疎まれ全国各地を転戦させられ、その途中で崩御した悲劇の英雄と伝えられています。
弟橘比売命は、大和朝廷に従わぬ地方豪族を討伐するため東奔西走する夫の身を案じ、東国へ発ったとき夫に同行しました。そのようなとき、相武国(サガムノクニ・現静岡県)の野中で火攻めに遭い、草薙の剣で草を掃って難を逃れた倭建命一行は、走水(現神奈川県横須賀)の海から上総(現千葉県木更津)に渡ろうとしていました。ところが、突然強風が起こって海が荒れ狂いました。海神が怒り、生贄を求めているのです。弟橘比売命は倭建命の窮地を救うべく、自ら海に身を躍らせました。相模で炎に巻かれたとき自分を守ってくれた倭建命の優しさと、夫の役に立つことへの喜びを胸に、犠牲になる道を選んだのでした。后である弟橘比売命は、夫の担う責務を全うさせるため、延いては国の安寧のためと、瞬時に判断を下したのです。弟橘比売命の身体を飲み込んだ海は、たちどころに凪いました。後に一行は、無事に木更津に上陸します。一瞬のうちに妻を失った倭建命は、何日も海岸を彷徨い続け、海辺に身を伏して身も狂わんばかりに嘆き悲しんだといいます。
千葉県の「木更津」と云う地名は、倭建命が叫んでいた「君去らず」(君よ、去らないでくれ)が由来と伝えられています。
 献身的な愛とは命がけなのだというお話しです。皆様は、如何感じられたでしょうか。


2018年2月14日水曜日

静岡マラソン

 来る3月4日(日)は、第5回の静岡マラソンが開催されます。静岡マラソンの前身は、駿府マラソンで、ハーフマラソンと10Km・5Km・3.2Kmと小学生から大人まで参加できる大会として永く市民に親しまれてきましたが、全国的なマラソンブームに乗って、平成26年の大会(第1回)からフルマラソンを中心とする大会に変更しました。

マラソンブームの火付け役は、なんといっても平成19年から始まった東京マラソンで、参加するのには今でも高い倍率の抽選を勝ち抜かなくてはなりません。

静岡マラソンがフルマラソンに変更したことに伴い参加料もそれまでの4200円から1万円と少々高額となりました。もっとも、現在の都市型マラソンの登録料はみな1万円以上ですので、静岡マラソンが特に高いというわけではありません。そもそも、マラソン大会の運営は、ランナーの参加料だけで運営することは不可能で、自治体の財政や寄付金によるところが大きく、運営は多くのボランティアに助けられています。

コースは、静岡県庁前をスタートして市内をぐるっと15Kmまわった後に安倍川沿いを河口まで下り久能海岸を旧清水市まで走り、清水駅前でゴールするというフラットで記録もねらい易いコースとなっています。

私も、この大会を照準に3時間30分を狙って毎年走っているのですが、これがなかなかクリアできません。

さて、静岡県内のマラソン大会ですが、大小様々な大会がざっと60以上開催されていて、フルマラソンは「しまだ大井川マラソンinリバティ」(10月)、「袋井クラウンメロンマラソン」(12月)、「静岡マラソン」(3月)、「掛川新茶マラソン」(4月)と4大会も開催されマラソンの環境には恵まれています。全国で開催されているフルマラソンの大会は79で、この数字からも静岡県の開催数の多さが分かりますよね。ちなみに、お隣の愛知県でのフルマラソンは「名古屋ウイメンズマラソン」が有名ですが、その名が示すとおり男性は出走できません。それ以外のフルマラソンは、同じコースを4回まわる大会が1つあるだけです。唯でさえ苦しいマラソンなのに、同じところを4回もまわるコースは厭になリますよね。

それでは、なぜ静岡にフルマラソンの大会が4つもあるのでしょうか。これは交通規制にかかわる問題が大きいのではないかと考えています。まず島田ですが、市内を4Kmほど走った後は、ゴールまで大井川の河川敷を走りますので交通規制は、市内を走り終わるまでの僅かな時間だけで済みます。そのためゴールの制限時間も7時間と極めて緩やかに設定されています。袋井のスタートとゴールは「エコパスタジアム」、掛川のスタートとゴールは「つま恋」といずれも市街地から離れていて、コースは田・茶畑の間や山の中を走り市街地は僅かです。したがって袋井と掛川は、起伏の激しいコースとなっており記録を狙うには不向きです。参加料は、島田が7500円、袋井・掛川は、いずれも6000円です。

静岡マラソンは、市街地も走ることから、大規模な交通規制を行う必要があり、ボランティアを含めて、多くの人の協力で成り立っています。

春を迎えるにふさわしい静岡マラソンですが、いつか皆さんも挑戦してみませんか。完走後にはきっとすばらしい景色が見えるはずですよ。

宮内豊文

2018年2月9日金曜日

私の祖母

私の祖母は20年ぐらい前に亡くなりました。孫の私にとっては気楽な人でした。先日、祖母が残した手記が見つかりました。満州から引き揚げてくる道中のことを書いたものでした

「山の上に軍人らしい日本人がいるとの話を聞いてソ連兵が飛んで来て「戦いに使用するものがあるだろう。出すように。もし探して出てきたときには全員撃ち殺す」と機関銃をバリバリ撃ち始めた。」

「次の日夜十二時ころ、周辺の部落の暴民が馬に乗って略奪に来た。…翌晩も十二時ごろになるとまた襲ってきた。私達は子供を連れて草むらに潜んで逃げた。運悪く梅村さんの子供さんが脱腸で痛みが激しく、大きい声をあげるので、聞こえるのを恐れてお母さんが子供さんを布団に包んで逃げた。馬賊が引き揚げたので子供のそばに戻り布団から出したところ、子供さんは息絶えてしまっていた。

「日の丸の旗が子供のパンツに使用されているのを見た時は、とてもやりきれない気分でした。負けたというのは惨めなもの、いつも小さくなって過ごしてきた。」

「朝早くから、表が騒がしく何かと思って外に出ると、台の上に日本の男の人が立っている。回りには沢山の外国人。…年をとった外国人が「スーラ、スーラ。」と叫ぶ。…間もなく「ダダーン」とピストルの音がして台上の日本人郵便局長は倒れた。外国人が台上にかけ上がり、着ているものは勿論下帯まで持ち去った。この肉親の惨劇を目の前にした局長さんの奥さんは、この様子に気が転倒したのでしょう。二人の男の子を残して山に逃げてしまったままついに帰って来なかった。子供のためにも一緒に強く生き抜いてほしかった。

「ある奥さんがお産をしたが、乳が出ず他に与えるものがない。赤ちゃんが日増しに小さくなっていく。私は見ておれず砂糖でもあったらと町へ出た。どこへ行っても日本人には売ってくれない。途端に外国の兵隊につかまってしまって時計をとられそうになった。…ようやく釈放されて宿舎に戻った。急いで赤ちゃんのところへ行ってみると死んでしまっていた。お母さんが乳の出ない乳房をつくづく見ていた。親の愛情を与えることが出来なく冷たくなった子供をいつまでも抱えて離さなかった。」

一人の工員さんがしきりと鏡を見ていた。鏡の中に遠い日本の姿を求めているようだった。手を握ってあげた。やせた冷たい手だった。その夜遠いところへ旅立ってしまった。そっと鏡を持たしてあげた。

外国の女の兵隊が日本人を並べて持ち物を調べていた。私達の前に来て子供が持っている人形を見て「アイヤ―テンハオ…」と言って取り上げられた。驚いたが子供は声一つ出さず私の顔を見た。私は「日本に帰るともっと大きなのを作ってあげるからね」と言って納得させたが、納得出来ないのは私の方で、あの人形にはありったけのお金が入っているのにこれから先どうしたら良いやらと思っていた矢先、突然大きいピストルの音がして男の人が倒れた。風呂敷包みを取られそうになり手を出したためで、撃ったのは先ほど子供の手から人形を取り上げた兵隊だった。

「中国人の子供が「シンジョウ、シンジョウ」と言って子供に何か持たしてくれた。お金だった。たとえ少なくとも、心が有難く「シェシェ」と何度もお礼を言って別れたが、思わぬ嬉しい贈り物に、この子供達が大きくなった時には、手を取りあって仲良く行けるようになるだろうと、明るい気分になって足の痛みも忘れて歩きつづけた。口が乾いたので川の水をすくって飲んだ。少し上の方で豚を洗っていた。」

「お金がないから何も買うことが出来ない。中国人の家に洗濯に出掛けた。出るときはいつも子供と二人で行くようにした。ある日訪れた家は前に日本人が住んでいたらしく日本の下駄が隅の方においてあったのが哀れであった。この家の奥さんが気の毒だと、私たちを食堂に案内してくれて真白いご飯をお皿一杯出してくれた。子供は驚いた様子で久しぶりの白いご飯に飛んで行って手づかみで食べはじめた。私は悲しくて涙が出た。こうなったのも戦争のためだ。…表に出た。子供の欲しがった「りんごと豆腐」を買って帰った。子供は「あしたもまた今日の家に洗濯に行こう」と言ったが…「あしたは休みたい」と言ってその場を繕った。

 祖母は、私の母を連れて、終戦の翌年、昭和21年10月20日に佐世保港に着いたそうです。焼け野原の広島を通り、故郷の浜松に帰った後も、どうも苦労は続いたようで・・・。母からの伝聞ですが、床の上でご飯を食べる祖父(祖母の夫ですね。)の家族とは別に土間に座ってご飯を食べたり、私の母の給食費を借りに姉の嫁ぎ先に行ったときに「お前に貸す金はない。」と断られたりしたそうです。

 本当、ご苦労様でした。私だったら耐えられそうもないかな。でも、繰り返しになりますが、私の知っている祖母は気楽な人でした。外国人から耐え難い屈辱も受けたでしょうに、笑い話はしても、恨めしいことは何もいいませんでした。
ここまで書いてきて、ふと酒井さんの奥さんのことが思い出されました。話の流れで奥さんが掃除をしない、ご飯を作るのが面倒という話になったとき、「掃除しなくても死なないら。一日ぐらい食べなくても死なないら。」と笑っていっていたような・・・。

小楠